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アカギで小説を書き始めてから、これまでのジャンルとは違って、もろにこれまで読んできた文学の影響が出てしまっているな~と感じます。もともと私は、大学時代源氏物語の研究をしていたのですが、源氏物語と福本作品って、ある意味で似ていると思うんですよ。


源氏物語は、皇位継承権を剥奪された皇子が、父帝の寵姫とか皇太子妃とか、皇位に関する女性を犯して、子どもを天皇と結婚させることで潜在的な王位を得る話なのですが、福本作品のテーマのひとつも「王位の簒奪」なのではないかと。

福本の主人公は、常に老王を殺して王位を奪わなければならない宿命を負っていると思います。アカギなら鷲巣から、カイジなら兵藤から、零なら在全から、というように。


で、「王位の簒奪」という視点から見ると、『銀と金』はちょっと特殊です。
他の作品では若者と王は敵対関係にあるのに、森田は銀さんの弟子なんですよね。
でも若者は王を殺して王位を奪わないといけないから、『銀と金』があのまま続いていたら、結局森田が銀王を殺して新たな王になるか、銀さんが死ぬまで看取って彼の事業を引き継ぐしかない。
森田は「銀さんを超える」と言っているし、銀さんも、俺が死んだら森田が道行きを果たすだろう、と言っていて、あらゆる形での「銀王殺し」は暗示されているのですが、じゃあそれがどういう形なのか、というのは提示しないまま終わっていますよねー。

結局は、灰になるまで勝ち続けると決めた銀さんが、浮かんできた森田に刺されるっていう結末しか想像できないので、あの終わり方は、あれはあれでよかったのではないかと。


多くの人が赤木に憧れるのは、王位を望めるのに「勝ちを積むと不自由になる」と言って王位をえいっ!と放棄しちゃうからじゃないでしょうか。銀さんでさえ、森田が去った途端に、王位が宙に浮いて意味を喪失する(銀さんは森田に王位を譲れなくなって、持っていても仕方なくなる)にも関わらず、今更王位を放棄できなかったというのに。

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